言葉の弾丸

うつ病を患った落ち着きのない魔法使いが言葉の弾丸を放とうと四苦八苦しているブログです。

ブログタイトルと『夜桜四重奏』五十音ことはの能力との関係性について

こんばんは、1ヶ月の空白期間を開け再びこのブログの歯車を回し始めました。まゆらです。


今回はブログタイトルを変えた理由と、『言葉の弾丸』というネーミングの由来について少し話してみようと思います。




#ブログタイトルを変えた理由


このブログを始めた当初(と言っても今年の1月のことですが)は、『自律神経を乱しがちな派遣OLが彼氏と同棲を始めたら。』という長たらしいブログタイトルでした。


というのも、その時点では、わたしは派遣で週5日の事務職をしており、メンタルクリニックに再び通うようになるとは思ってもみなかったからです。


もちろん、《自律神経を乱しがちな》とあるように、気分が落ち込んで出勤困難になる日があったりと、至って健康というわけではなかったですが、2018年1月からの約1年間どうにかこうにか働いていました。


しかし、それが良くなかったのかもしれません。

無理が祟ったのかもしれません。


2018年から2019年にかけての年末年始休暇を終えると、ポッキリと芯が折れたようにまったくの出勤困難になりました。


当時のことは正直よく覚えていません。

寝込んでばかりだったのは確かなのですが、とにかく辛くて苦しくて泣いてばかりいて、怒涛のようにその日々は過ぎ去って行きました。


過去記事を参照していただくと多少お分かりいただけるかもしれません。


[参考過去記事]

mayun06.hatenablog.com

mayun06.hatenablog.com

mayun06.hatenablog.com



そうして、2019年2月末をもって晴れて(?)無職となり、うつ病の診断を受け療養に専念し回復期に差し掛かった頃、ブログタイトルを変えるに至りました。


詰まる所、自律神経を乱しがち》だった《派遣OL》は、気づけば《うつ病》の《無職》になっていたわけです。


そりゃ、ブログタイトルも変えなきゃ詐欺でしょ…ってことです。


では、なぜ『言葉の弾丸』というタイトルになったのか。

それはわたしが根っからのオタクであるというところに理由があります。



#新しいブログタイトルの由来


この『言葉の弾丸』というブログタイトルは、『夜桜四重奏〜ヨザクラカルテット〜』というヤスダスズヒト氏の漫画作品からインスピレーションを受けています。

この作品のあらすじについては省略させていただきますが、とあるメインキャラクターについて掘り下げてみますね。


その名も“五十音ことは”。


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※ファンアートであり、公式画像ではありません。無断転載、自作発言等お控えください。


この時点で『夜桜四重奏』をご存知の方は見当がついたかもしれません。

彼女、五十音ことはは作中で半妖の“言霊使い”として登場し、声に出した言葉を物質化して戦います
壁や氷のような簡単なものはもちろんのこと、銃器などを言葉ひとつで産み出しその弾丸を放つことができるのです。

実のところ恥ずかしながら、2008年に放映されていたアニメでしか作品に触れたことはないのですが…。

しかし、五十音ことはの声優である沢城みゆき氏の声で放たれる言葉の弾丸には、とてつもない衝撃を受けました。


「ショートカット アハト アハト(88)!弾弾弾弾弾(ダダダダダ)!」


その声とともに放たれていく“FLAK36 88ミリ砲弾”。
時には“MP40”という名の機関銃を放つこともあります。

10年以上も昔のアニメではあります。
が、わたしの幼子ごころにこの“言霊”の力はなんと魅力的に映ったことか。

言葉ひとつで現実を、戦況を、世界を操れることに、どれほどの魅力を感じたことか。

20代となった今でも果てなく魅力的な力です。

もしも、この拙い説明で興味を持った方がいたなら是非ご一読、またはご視聴いただきたい。



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とまぁ、なんともオタクらしい理由から『言葉の弾丸』というブログタイトルになったわけなのですが、実はもうひとつ別の意味も込められています。

それは、“言葉は迷い人を救う天啓となり、また安易に善人を殺しうる凶器ともなる”ということです。


言葉》は目に見えない《弾丸》なのです。


撃ち合っても避け合えたならいい。万が一でも相撃ちならまだいい。

しかし、一方的に撃ち抜き、さらに撃ち続けるのは狂気以外の何ものでもないのです。

だからわたしは“言葉は殺戮の弾丸となりうる”ということを、このちゃっちな前頭葉に刻み込んで文字を綴っていきたいと思います。


なーんて、厨二病みたいなことを書いたりしてね。


 

スキマ