健常者と精神障害者との越えられない壁
※今回の記事では、“精神的病気を患っていない人=健常者”、“精神的病気を患っている人=障害者”という表現が多用されます。分かりやすさを重視した表現の選択ですが、もし、嫌悪感を抱く場合は記事自体を読まずとも構いません。
もし、表現に嫌悪感を抱かない、耐えられるということでしたら読んでみてください。
ある晩、わたしまゆらはベッドの中で彼くんに打ち明けた。
「あなたの言葉に傷つくことがあるんだ」
彼くんは「例えば?」と気付いていないようだった。
「例えばね、」
それを皮切りに、簡単に説明したらこう言われてしまった。
「じゃあ、俺もうまゆらに何も言えないね」
両親もそうだ。
「自立支援や手帳なんかの前に働くべきでしょ」
「今のあなたには働けるわけないじゃない」
矛盾した言葉で混乱させる。
この混乱はひどくわたしを惑わせて、衝動的にさせる。
「働け」と言われればアルバイトの面接を受けまくり、「働けない」と言われれば自立支援や失業手当の給付に走る。
昔から、親の助言に従順すぎたのかもしれない。
一方で、わたしはうつ病やADHDのせいかわからないが、話が急に飛んだり、人の話を最後まで聞かずに動いたりしてしまう。
彼くんはそういう状況が重なると決まって言うのだ。
「まゆらは俺の話を聞く気がないからもういいよ」
『苛立たせてしまった』と落ち込むと同時に、『聞く気がないわけじゃない』と苛立つ。
わたしにしてみればなんてことない日常なのだ。
思いついたことを矢継ぎ早にたくさん話して、「こうだ」と思ったからその通りに動く。
でもそれはこの世界ではNormalじゃない。
家族はおろか、一緒に暮らして一年半になる彼くんでさえ理解しきれていないのだ。
《彼ら_健常者》は無意識に《わたしたち_障害者》を傷つける。
でも、それは《彼ら》にとっては至極当然の道理で、《わたしたち》が勝手に傷ついているだけなのだ。
だって《健常者》は「当然だ」「問題ない」と思ったことを何気なく口にしただけなのだから。
それに対して《障害者》が「傷ついた」だとか「ショック」だとか言うのは割に合わないのだろう。
そう、これが、《健常者》と《障害者》の越えられない【理解】と言う名の壁なのだ。
じゃあ、どうすればいいのか。
残念ながら、わたしと彼くんにはまだ答えは見つかっておりません。
もし、解決策をお持ちの方がいましたらコメントで教えてください。
助けてやってくださいませ。