自分が存在する意味って?〜自分の存在価値がわからなくなった時〜
こんばんは。病状の回復がイマイチな日々を過ごしています。まゆらです。
今回は自分の存在意味・存在価値について持論を述べてみようと思います。
《生きている意味がわからない》
わたしは時々、自分の生きている意味がわからなくなります。
こう思うようになったのは社会人になってから。
ということは、どう考えても新卒で入社したテレビ制作の仕事が原因です。
(詳しい話は心が許してくれたらお話ししようと思います。)
「生産性のない自分がなぜ生きているのか」
そう感じて、悲しく、申し訳なくなります。
つい先日も、働き方改革のよるわたしの収入減をキッカケに「消えたい」と泣きじゃくりました。
[参考記事]
mayun06.hatenablog.com
「食い扶持をつなぐ真っ当な金額すら稼げない」
「彼君に頼って、親に頼って生きることしかできない」
この思考から一気に、
「生きている意味がない」
「生きている価値がない」
「なぜ生まれてしまったの?」
「ごめんなさい」
「消えたい」
「死にたい」
この思考に囚われて身動きが取れなくなります。
罪悪感で堪らず、謝り続け泣き続けます。
こうなってしまうと自分でも、もちろん他人でもどうしようもないので、タイミングを見計らって薬を飲んで寝るしかありません。
これを読んでいるあなたもそうなのかもしれませんね。
辛いですよね。苦しいですよね。
そして、痛いですよね。
どこが痛いのかわからないけど痛いんです。
自傷行為はこういう時に起こります(わたしの場合)。
「痛みはここからだ」と認知したいから、自分の体に傷をつけます。
そうすると“所在の分からない痛み”という不安がふっと消えるんです。
自傷行為をしてしまう方が皆そうだとは言いませんが、わたしはそういう理由から体に傷を作ってしまいました。
《自分はなぜ生きているのか》
以前わたしは彼君に
「わたしはなんで生きているんだろう?」
と聞いたことがあります。
その時、彼君は厳しい声でこう答えたんです。
「まゆらはさ、その言葉を聞いて悲しむ人がいること考えたことある?
俺や家族と過ごすこと楽しくないんだ?
そういうのはまゆらにとって幸せなことじゃないんだね」
この言葉にわたしは「とても失礼なことを言ってしまった」とはっとして、泣きながら答えました。
「ごめんなさい。
わたしは彼君のために生きてる。
わたしは彼君やみんなと幸せに過ごすために生きてるよ」
あなたにも、大切な人はいませんか?
綺麗事だと言われてしまえばそれまでですが、家族でも恋人でも友人でも、もちろんペットでもいい。
あなたが一緒に過ごして幸せだと感じる相手はいませんか?
「どうして生きているの?」
その答えは単純です。
あなたのため。
そう、自分のためです。
《自分が存在する意味》
自分が生きる意味なんて、“自分を満足させるため”でいいんじゃないでしょうか。
たとえば、
食べることが好きなら美味しいものを食べるため
絵を描くことが好きなら描きたいものをたくさん描くため
大切な人と過ごすことが幸せならその人たちと過ごすため
その程度のことでいいんだと思います。
難しく考えなくていいんです。
“欲望に忠実に生きる”
これを生きる意味にしたっていいじゃないですか。
たしかに、悲しくも生きるためにはお金が必要な世界です。
だからと言って、お金を稼ぐために生きているという考え方は違うと思います。
あくまでも、生きるためにお金を稼いでいるだけであって、生きる意味は別のところにあります。
もし、生きる意味がお金を稼ぐことになってしまっているなら、一度考え直してみてください。
[おすすめ書籍]
仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)
《自分の存在価値》
美味しいものを食べて、それを他の誰かに紹介すれば、それはあなたの生産性です。
素敵な絵を描いて、誰かひとりでも素敵と思ったなら、それはあなたの生産性です。
大切な人と過ごして、お互いに幸せを感じたなら、それはあなたの生産性なんです。
自分に生産性を求めるなら、このくらいのことで充分じゃないですか。
無理して擦り切れるほど他人に与えなくていいんですよ。
仕事だって、プライベートだって、意志が強い人なら欲しいと思ったものは自らぶん取って行きます。
テレビを点けると笑わせている出演者
電源を入れれば聞けるお気に入りのミュージシャン
ページをめくる手を速めてしまう漫画家
美味しい料理を食べさせてくれる両親
溢れる愛を与えてくれる恋人
たくさん受け取っているのに返せていないと思っていませんか?
充分返せていますよ。
だって、視聴率に、印税に、笑顔になっているのだから。
それがあなたの生きる価値です。
わたしにとってはこのブログも生きる意味であり生きる価値です。
ブログを書くことが好きで、少なくとも読んでくれる方々がいる。
とすると、読んでくれる方がいなくなったら、わたしの生きる意味も価値もなくなってしまうなぁ、なんて…。
いいえ、わたしには暖かい家族も恋人も友人もいます。
その人たちに幸せを与えられるなら、生きている意味がある。
彼君の言葉がなかったら気づかなかったかもしれません。
そんな厳しくも暖かい言葉をもう一度。
「きみはさ、その言葉を聞いて悲しむ人がいること考えたことある?
俺や家族と過ごすこと楽しくないんだ?
そういうのはきみにとって幸せなことじゃないんだね」